伏線回収をお楽しみに~
おぉ、7月に空ちゃんがブログを書いていた!
アナウンスがないから知らなかったよ。。
つまりわたしも2ヶ月以上見てもいなかったということだ。。
いくらゆるゆるやろうとはいえ、ゆるい。ゆるすぎるwww
そう。カードは飛んでくるのよー。
きっとひくまえから選ぶカードは決まってるんだと思う。
ぜんぶ決まってるから日々伏線なのか
最近のわたしたちのテーマである「日常を味わう」だけど、
P師が言うには、
ほんとうに映画が好きな人が観る映画と、
そうでもない人が観る映画は内容が違うんだそうだ。
つまり、
映画で何気ないシーンを何気なく流し観ている人は、
日常を味わわず「特に何事もない一日」を過ごす人 であり、
映画で、あるシーンを観た時に前のエピソードに伏線があった!と氣付ける人は、
日常を味わって生きてる人 といえる。
だから、
いま起きてる出来事や、二人であれこれ話している内容も、
あとあと何かにつながる重要エピソードになりえるってこと。
夢(寝てるときにみる夢)もそうなんだよねきっと。
だからなんの意味もない夢というものはないんだって。
じっさい、夢の意味も日常の意味も、あとになってみなければわからないから、
答え合わせを楽しみたかったら、伏線に氣づく視点を持たないとなのだな。
そう考えると日々伏線であり伏線回収であったりするんだし、
もっと楽しめるね。人生。
あと、長文になるけど、もうひとつまとめておきたいことがあるので書いておく。
セラピストには2タイプある
こないだ他のセラピスト仲間と話してていろいろ考えた。
セラピストになりたて(?)の人にありがちなのだけど
「こんな不幸だったけどこんなに幸せになりました!」って不幸自慢なんだか幸せ自慢なんだかよくわからないエピソードを嬉々として語る人ってどうなんだろうと。
わたしたち天空の住人タイプからしたら、最初は確かに「変化」が羨ましいと思った。
だけど最近、そういうセラピストの中には「変化」を大事に抱えすぎちゃってる人が結構いるんじゃないかって氣がしてる。
そして思った。
セラピストには「人を癒やしたい人」と、「人を癒やすことで自分の価値を確かめたい人」の2タイプがいるんじゃないかな。
そんでもって、セラピストになってもあまり幸せそうじゃない人たちは、後者に属するんじゃないかな。不幸自慢幸せ自慢しちゃう人たちも後者かもしれない。
P師は、セラピストの唯一の条件は「充分であること」だと言う。
「セラピスト」とは「ふつうの人」である、とも。
要するにそれだけ「ふつうじゃない人」が多いんだって。
普通だと思っていても、実はたーーーくさんの観念にとらわれている。自覚なしに。
(この「自覚なし」ってところは、先に書いた「伏線に氣付かない」ってことともつながるから、「ふつうじゃない人」≒「日常を味わってない人」≒「観念を生きてる人」とも言えるかも)
「こんな不幸だったけどこんなに幸せになりました!」という人たちは、
不要な観念をたくさんたくさん持ちすぎてて、そのぶん手放したものも多いから変化がわかりやすかったというだけのこと。
(でも、せっかく「ふつう」に近くなったのに、不幸自慢幸せ自慢してたらまた「ふつう」から離れちゃう。。)
天空タイプは、手放すものがそんなにたくさんなかったというだけのこと。
(「ふつう」に近いということか? まだまだ観念だらけだけどなw でも自慢するようなものもないしなw)
でも「ふつう」になったら、セラピストを目指さなくなるよね
不要な観念価値観を手放して、「ふつう」になったら、「セラピーしてあげたい」と思うこともなくなるだろう。なぜなら「充分だから」。
「ふつう」の人は、いるだけでセラピストだとP師が言うのもわかる。
「ふつうじゃない」人たちに気づきを与えるから。
逆説的?哲学的?だけど、セラピストを目指していろいろ勉強していくと、最終的にはセラピストになる必要がなくなる、ってとこにたどり着くのかも。
「勉強」って書いたけど、得る以上に手放すことを学んでるんだもんね。
じゃあセラピストって3タイプじゃん
書いてるうちに氣づいたからそのまま書くけど、2タイプだと思ったけど、結局は3タイプなのか?
「人を癒やすことで自分の価値を確かめたい人」
「人を癒やしたい人」
「ふつうの人」(癒そうとか思わんけどセラピストな人)
こんな感じ?
何かを目指す、ってことも執着になりうるし、
なんとなくこれ目指してたけどいつのまにかこうなっちゃった、みたいな着地点が幸せそうなんだが、どう思う?